ひとりごと。

特に意味もない、発言のメモ帳。故にひとりごと。

言葉の重みと呪い

物騒なタイトルで失礼。だけどここ最近ずっと思っていることがあって、書かずにはいられなかった。

 

言霊、という言葉がある。言葉には魂が宿っているというあれだ。年配の人が子どもを窘めるときによく使うが、馬鹿にできなくなりつつある。

元々自分は言葉には気を遣っている(つもりかもしれない)方ではあるが、言葉は人を気遣い、幸せな気持ちにさせたりすることもある。しかしときには人を縛って呪い殺す力を発揮したりもする。インターネットで言葉を気軽に発信できるようになった今ではその重みも薄まりつつはあるが、結局人知れず誰かの命を救ったり殺したりすることができるのは変わらない。むしろそんな恐ろしいことが気軽に出来るようになったとも言える。

 

自分の話になってしまうのだが、私自身の家庭が祖母中心なこともあって、祖母の言葉は家族全体に影響を与えることが多かった。そんな祖母の決まり文句が「他人に迷惑をかけないように」だった。それは社会で暮らすのには大事なことということは重々承知をしていたが、いざその言葉通りに生きようとすると何も出来なくなるのだった。人間は何をしても、意図せずにも関わらず誰かの迷惑になるのだから。

また「大学へ行って、会社に勤めなきゃいけない」と言われ、その通りに育ってしまった。幼い自分にはそれが正しい答えなのだろうけれど、あくまで"自分"の人生を生きねばならないこの世界ではその考えは不要になることもあるということに、うつになる前は気付けなかった。

それらだけが人生ではないと解っていても、未だにその言葉が呪いのように首に巻き付いて縛りつけている気がする。家族の言葉だから尚更だ。

 

話を戻そう。

つまり何が言いたいかというと、無意識に吐いた言葉が他人を呪い殺す、という恐怖が自分の中にあるかということを問いたかった。

その恐怖を忘れてしまっているのなら、発言は一旦謹んで自分と向き合った方がいい。自分のためにも、他人のためにも。

 

近年、twitterや掲示板、LINEでの会話が激しさを増す一方で、他人に対する配慮がかけつつある。物事の境界線が曖昧になっているせいでもあるだろう。しかし、それが他人を言葉で呪っていい理由にはならない。

匿名性が高いインターネットで発言しようと、それは自分が発言したことに他ならないのだ。だからこそ、今このときに"言葉の重み"を改めて考える必要があると思う。

 

未来の自分がこの日記を読み返して、少しでも言葉の重みを思い出してくれればそれでいいと思う。ついでに誰かにもこの想いが伝わればなお良いが。

 

(なんて、偉そうに言うニートであった。ちゃんちゃん)

 

今日の日記は恐らくここまで。二日目だがまだ続けていけそう、な気がする。

頑張れたら、また明日ひとりごとを書き流しにくるか。