ひとりごと。

特に意味もない、発言のメモ帳。故にひとりごと。

自分にしかわからないこと。

今まで散々イマジナリーフレンドがいると言っていたが、あれは嘘になるかもしれない。

嘘になると言っても、意図的に吐いていたわけではなく、最近ずっと考えていて思ったことだ。

 

「空想上の友達」と呼ばれることが多いそれは、自分には当てはまらないからだ。なぜなら自分の中では"もう一人の自分"は紛れもない本物だった。しかも思考は独立していて意思を持っている。それぞれの意思の元で自分の身体を使って動いていたからだ。

 

…こうやって書くとただの中二病の妄想みたいだが、実際にそうであったために笑い飛ばすこともできない。

 

自分はやりたいと思ったことを素直に実行し、"もう一人の自分"は周りの人間の幸いを第一に行動していた。まるで人格が独立して動いているようなそれに近い。けれど記憶の共有はちゃんとされているため、俗に言う二重人格、または解離性同一性障害ではなかった、と現時点では思っている。

また、個々の意識を持った人格のようなものがもう数人いたことも自覚している。しかもそれらはまるでスイッチが切り替わるかのように意識が突然変わって行動をとってしまうことも多かった。おかげで学校生活なるものはめちゃくちゃだった。自分がおかしい自覚はあったため、高校は普通科から通信制へと転学したが本当によかったと思っている。そうでなければ他者に迷惑をかけてしまっていただろうからだ。

 

空の境界』という作品がある。主人公が両儀式という二重人格の人間なのだが、彼女のようなものと言えば一番近いだろう。あんなに大層なものではないが。

 

ちなみに主要な"もう一人の自分"が消えただけであって、未だに何人か自分の中に人格を持ったようなものはいる。時々それに入れ替わってしまってやらかしてしまうことも多い。他人にも「二重人格みたい」と言われてしまうこともある。

 

こんなこと自体が全部自分の妄想かもしれないと毎日疑って、けれど入れ替わっていることによって「妄想ではなかった」と安心してしまう。このままでは本当に解離性同一性障害になってもおかしくないのに、恐ろしいのに手放せない。目も当てられないほどに依存している。

 

これを医者に話しても信用して貰えないと思い、こんなインターネットの隅っこに書きなぐることにした。

いつからこうなったかもわからないまま、またいつになっても終わりが見えないままこれから先もこんな状態で生きていくのだろう。

けれど、きっとこんな状態でもやれることがあるんだと信じたい。

 

不安に駆られつつ、久々の日記は終わり。

梅雨で憂鬱な日々だが、どうにか死なずに生きている。生きているだけでもまだましなのか、それとも死んだほうがましなのか。今でも判別はつかない。