ひとりごと。

特に意味もない、発言のメモ帳。故にひとりごと。

機械になりたい。

などと幼い頃から考えていた。まあghost in the shell/攻殻機動隊の影響だろうが。

機械になってしまえば死ぬことも早々にないだろうし、非合理的な考え方が少なくなり、より効率的に生きることができると幼いながらに夢見ていた。それでいて見た目もかっこいい。一石二鳥だと当時は思っていた。と幼い頃に考えていたのだと思っていた。

 

唐突に話が変わるが、初めて死に触れたのは3歳くらいのことだった。その死というものは強烈だったというのが記憶に残っている。曾祖母の葬式で、あまり関わったことのない人物だったというのに、あの葬式の空気は一生忘れられない。

亡骸がそこに置かれている、元々生きていたものが置かれているというだけなのに、何もかもが違った。亡骸は冷たくて動かない。筋肉が固まっていて人間だったとは思えない固さになってしまっている。静かに目を閉じているだけだというのにその顔は死んでいるとはっきり解る。生きているものが死ぬということ。そのことの尊さが如実に伝わってきた。

そんな光景を見て、残酷で哀しくて苦しくなるというのに、とても恋い焦がれるような。何とも言えないような。そんな感覚がしたのだ。

不謹慎ながら、この瞬間のために人間は生きているのではないのかと思うほどだった。

 

あの日以来、自分はきっと死を求めているのかもしれない。子どもなのに、いや子どもだからこそ、死がすぐそこにあるのに手が届かない、人間の本懐なのだと思ってしまったのだろう。

宗教や仏、神なんか関係なく、ただ純粋に死に惹かれた。惹かれてしまった。

 

実のところ、本当に機械になりたい理由は、死にながら生きているような存在である機械に憧れを抱いているのかもしれないと今は思っている。冷たい金属の感触が死の感触に似ているのか。はたまた人間の願いから生まれるのに、願いが叶えられたら死んでいく機械に似たようなものを見出したのか。

当時の思いはもう思い出すことなんて出来ないが、そんなところだろうと適当に考えつつ、改めてghost in the shell/攻殻機動隊を見ながらそんなことを考えている。

 

こうやって感傷のようなものに浸れる辺り少しは幼い頃よりも成長しているのかもしれない 。実際はどうだかわからないが。

 

へんてこな文章になってしまったが、今日の日記は終わり。

 

未だに全身義体への憧れを捨てることが出来ないのは内緒だ。